草萠ミツ Kusame Mitsu

草萠 ミツ
Kusame mitsu


服飾専門学校で色彩・デザインを学びアパレルメーカーへ就職するも、
『180°違うことをしてみたい』と思い立ち、着物屋へ転職。
販売員や着付け講師を経験したのち、
2014年、着物アドバイザーとして独立。
同年、東京・谷中にて
谷中着物てらこやを開校。
2015年、独自の色彩感覚を活かし、心と指先を彩るオリジナルブランド“奇かし(あやかし)”をスタート。
http://www.aya-kashi.net

ネイリスト検定1級、コーヒーマイスターなど…何故か着物と関係無い資格を持っている。。

趣味は歌舞伎(音羽屋・坂東彦三郎丈)、カフェ巡り、美味しいコーヒー探索。
どれも着物を着ていたからこそ出会ったもの。
ただ、『着物が着られる』。
それだけで私の人生は様変わりしたのです。
世界がグッと広がりました。
着物を日常着として楽しめるようになる方を増やしていくこと。
それは、私ができる最大の『着物への恩返し』になると信じています。

・・・名前の由来・・・
気候、植物の変化などを漢文調の短い文で表現した七十二候。
新暦の3月初旬は「草木萠動~そうもくめばえいづる~」。
春めいて、土の中で眠っていた草木が目覚め始める様子を表現しています。

「着物をはじめたいな」
「着物って難しそうだな」

着物への興味、関心を眠らせている方が現代には大勢いらっしゃいます。
その方々が着物に目覚め、一歩を踏み出す瞬間のお手伝いをしたい。
私のかねてからの願いを込めて草萠と名を決めました。

 

着物と向き合うきっかけになったのは成人式。
母が二十歳で着た振袖を 私のサイズに直して着ることになり、
「着物って時間が経っても着られるんだ」と感じたことが最初でした。

子供の頃、
私の遊び場だったのは母の嫁入り道具の箪笥が置かれた畳敷きの和室でした。
桐箪笥の暖かい香り、樟脳のツンとしたクセのある香り。
私にとって着物はごくごく身近なものだったのです。
母に「浴衣が着たいと」せがむと、
当たり前のように浴衣と帯が箪笥から出てきて着付けを教えて貰った記憶があります。
母は着付けの先生ではありませんし、私もそこまで器用なタイプではありませんでしたから、そんなに綺麗には着られなかったけれど、
母と鏡の前で過ごす時間が何より嬉しくて楽しかった。
あれやこれやと箪笥から着物を出してきては、楽しそうにその思い出を語る母が好きでした。
そして私たち家族にとってその光景は特別なものではなく、
まあそんな日もあるよね、というような日常の中の1コマだったのです。

しかし、今ー。

親から子へ、
そして子がまた親になり、伝えていく。
ほんの少し前まで日本で当たり前だった光景が、
失われようとしています。
日本人ですら外国人観光客の方々と同じように、
コスチュームとして着物に接するようになっています。
それが良い悪いとかではなくて………少し、寂しいなと感じませんか。

たたみ方が判らない、着方が判らない、名称が判らない。
でも着物姿の方を街中で見かけては、
『綺麗だな』
『着てみたいな』
と憧れを抱く。
憧れているだけでは、勿体無い。
多少不恰好でもいいんです。
少しだけ勇気を出して鏡の前に立ち、着物に袖を通してみれば……
私のようにガラリと世界の見え方が変わるかもしれませんよ。

着物を着る人口が少なくなったことで、
失われていく日本の伝統技術、伝統工芸がたくさんあります。
大変悲しいことですが、嘆いてばかりもいられません。
どんな技術が失われてしまったのか。
今、現在でどんな技術が残っているのか。
職人さんがどんな工夫をしているのか。
それを未来まで繋げるためにはどうすればいいのか。
着物を着ることで、それらの答えが見付かる…とまでは言えませんが、
考えるきっかけにはなる筈です。
考える方が増えれば増えるほど、様々な可能性が生まれてくる筈です。

着物を始めたいあなた。
既に始めているけれど、もっともっと楽しみたいと思っているあなた。
“谷中 着物てらこや”がお役に立てることはありませんか?

着物が現代、そして未来でも、
日々を楽しく彩る日常着の選択肢の1つでありますように。

 

草萠ミツ